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終幕

2010.12.31  JC

月曜日から怒涛の3連チャンでした。

月曜日は、斎藤委員長に委員会の打上げに呼んで頂きゲスト参加。
火曜日は、07ブロック同窓会で私と小川君が卒業を祝って頂きました。@古柏園
水曜日は、ブロック絆発信打上げ@ビューで、2日連続の石和。

皆さまお世話になりました。

今日は会社の神棚の掃除とおしんめ貼り。午後からJCルームの掃除。
家の掃除もカミさんが頑張ったし、何とか会社も終わりました。

今年もあと1日です。


さてこれが最後のエントリーなので、ちょっと思うところを書きます。


JCとはどんな組織でしょうか。
Jayceeとはどんな人でしょうか。

一口に云えばJCは「明るい豊かな社会の実現」を目指す青年経済人の団体であり、Jayceeはその構成員として、英知と勇気と情熱を持って、奉仕・修練・友情に向かう若者である。
そんなところでしょうか。
ですが、そんな言葉では伝えられないほど深く・多岐な存在であって、その影響力や存在感は侮れない、そんな風に思います。

口でなんて伝えきれない、行動を持って表現すればいい、昔はそうでした。
先輩方の行動をただ追いながら、自分で時間を掛けて消化して己が血肉にして行きました。

でも今はそんな悠長な事やってらんない。正直なところです。
もちろん行動を伴わなければお話にならないけれど、口で伝えて、肝を教えて、年寄りがしっかり指導しなきゃダメ。もちろん模範になれなければ問題外。
(かと云って、全体主義は気持ち悪いけどね。)

一般論として良く云われますが、情報を伝える側の人と伝えられる側の人、情報がうまく伝わらなければ、それは伝える側に圧倒的に問題があります。受ける側の汲み取る力を過信しないでしっかり伝えられる力。これが我々の現在の状況で実は一番大切なスキルなんだろうなと思います。

そんなスキルを磨く事をいつも頭の片隅に置きながら行動して頂きたいし、「伝える事」自体が本当に大切な事なんだと捉えて頂きたい。
分かる人にだけ分かれば良いとか、良い事してればそのうち分かってもらえるとか、そういう姿勢ではこの時代には全くの不適合です。残念ながら。

去年飯久保君が目指したところはまさにこの部分であるし、本当にその通りだなと思います。そして今年もこの伝えるんだという点で同じ流れだよね。
実際、事業内容と同じか、もしかしたらそれ以上の重要度。

今の良い流れをしっかり受け継いで、良い事業を開催し、それを一人でも多くのターゲットに伝えて行って下さい。
残念ながらJCには、「これでゴール」「100%成功」はありません。
でもそれに向かって行き続ける事自体が大事って側面だってあります。
精進するんだよ。期待しています。


もう1つ。
JCが何をやったって、どんなに良い事やったって、それで社会が動く事は「まず無い」という冷静な状況把握を忘れないで下さい。

しょせんJCです。(卑下する必要は全く無いけど、心の片隅にこのぐらいに思っておく事が大事。)

世の中の仕組みはほぼ政治で決まります。
例えば「峡西6町村合併・南アルプス市誕生」。JCが動いたから合併が成った訳ではありません。政治の判断で合併が為されたというのが事実です。

ただここで“まず”無いという言葉を使ったのは、必要十分条件ではないという意味であって、“100%”無い訳ではありません。

JCの長年の積み重ねが政治判断にプレッシャーを与えたのも事実でしょうし、下支えをしている事も事実だと思います。きっかけも作った。だけどそれだけ。

だから、変なうぬぼれは要らないよという戒めです。
私自身も誇りと自負を持ちながらいつも自分に言い聞かせています。しょせんJC×3

青少年育成だって、指導力開発だって一緒。
エラソーな事は云えたもんじゃない。

それでも世の中にはJCじゃなきゃ出来ない事はあるし、JCのお陰でと云ってくれる人が少なからず居ます。それは確かです。
そういう嬉しい事実に感謝しながら、でもそれを過信しない冷静さ賢さ慎みを持ってこれから頑張って頂きたい、そんな風に思います。


さらにもう1つ。
上っ面のきれい事はLOMには要りません。
そういうのは上でやればいい。(むしろ上ではそういうのが必要な場面がある。)

きれいな、いかにもな、だけど中身も熱さも無いような、そんな勘違いで残念なJayceeにはならないでね。
(うちのLOMは大丈夫だと思うけど、一応云っときます。)
いつも現場で、現物を確かめて、現実的に対応して下さい。


最後の最後に辛口エールでした。



さてさて、これにて終幕。年寄りは退場します。
本当に長い事お世話になりました。
来年からはイチ市民として、JCでまちづくり・ひとづくりの薫陶を受けた人間として、無理の無い程度に誇りと責任をもって生きて行きます。

何がどうなるか全く見当が付きませんが、まあラッキーな人間なので、きっと(良くも悪くも)次から次へといろんな事が起こって退屈はしないかなぁという予想。厄年だしね。


そして、来年以降もブログやります。
時事や読んだ本、趣味の事、家族の事なんかをつれづれなるままに書いて行こうかなーなんて思っています。
良かったらお立ち寄り下さい。

http://ameblo.jp/hirohito5884/ まだ枠だけで名称も無し。来年になったらはじめます。


それでは、さようなら。
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帰国そして■2007-■2010

2010.12.26  JC

昨日帰国しました。
ふう日~土は体がキツい。。

まあでも久々に定刻フライト・荷物も早く出て来たので、16:30過ぎには帰社。
この時間に帰れると仕事が出来て良いね。

夜はみんなで実家に行き食事。
娘がちょっと調子を崩していますが、大事は無さそうです。


今日は大事な時期に1週間の留守という遅れを取り戻すために出社。
一人きりの会社はなかなか暖かくなりません。。

今回の上海出張では年末という事もあり多方面からお呼び出しで、ほぼ毎日飲みでした。連チャンは堪えた。。
そうは云いながらお尻に火がついているので、何とか2007-2010を書き溜めて来ました。
終わり良ければ全て良しだもんねぇ。ヨカッター

さてさて。


■2007
理事長が終わって翌年。理事長は横内君。
彼の入会以来、最初からずっと一緒にJCをやってきました。
無理もいっぱい押し付けたし、何とか彼のためにという思いも人一倍でした。

そんな中、彼の本意に反してですが、2007年を受けて頂きました。
本当に感謝しています。

私は直前理事長で、山梨ブロック協議会へ副会長として出向。臼井会長の元でメディコミの委員会を担当させていただきました。委員長は山梨JCの雨宮秀樹君。
山梨JCさんとはそんなに接点が無かったんですが、この時に沢山の方と知遇を得る事が出来ました。
宝です。

初のブロック役員という事で至らぬ点ばかりでしたが、この年の大河ドラマ「風林火山」に合わせた風林火山博開催と武田検定というちょっと変わったイベントもあり、思い出深い年でした。
風林火山博実行委員会の専務理事だった入倉要先輩にも本当にお世話になりました。

LOMでは、横内理事長、飯久保専務をはじめみんなに多大な負担を掛けて2007年度を繋げてもらったという思いから、何かしら少しでも役に立ちたい、そんな思いで1年間を過ごしました。(出向も含めて)


私生活では、前年理事長を務めながら、よさこいを踊りながら、ひた隠しに隠してこっそり付き合って来たカミさんとGoal。
まさに、「一念岩をも徹(とお)す」というところでしょうか。
ありがたい事に第一子も授かりました。

結婚と懐妊の後先が逆になり、ご両親に挨拶に行った際の床の間に飾ってあった鎧と日本刀の強烈な印象は、一生脳裏に焼き付いている事でしょう。

この結婚から先、人生のツキが更に上向きはじめました。
つくづく思うけど、実のところウチのカミさんは私の有力なメンターの一人です。

恩返しと簡単に云うけれど、受けた恩はなかなか返せない。
でも、先輩方に受けた教えを、自分で噛み砕いて、若い人たちに伝える事が恩返しなんだろうな、という思いが強くなって、いかに伝えるかを考え始めた年だったと思います。



■2008
直前という重い役職が終わって、さてこれからイチJayceeとしてこの組織にどう尽くして行けば良いか、いつもそんな事を考えながら過ごした年。理事長は長沢先輩でした。

私が乱した流れをスっと戻してくれた手際と存在感。圧巻でした。
長沢先輩の場の落ち着かせ方、流れの作り方。さすがだと思います。
こういう人材(財)が後から後からちゃんと続いて行くというのがJCの凄さだし、だからここまでちゃんと続いているんだなぁとしみじみ思います。

理事長も直前も終わり、正直置き所が無いという状況下、自ら志願して「若い人たちの教育係 兼 相談係」という意味で議長をやらせて頂きました。
みんなやりづらかったかな。

実際、教育係と云いながら、本当は自分が一番気付きを得たんだろうなぁと思います。
ブロックのメディコミ委員会の竹内さんと駒井君(現駒井夫妻)との出会いもこの時でした。
まあ、何だ、2人とも出色だよね。
この後、会えば必ず「移籍しない?」と、実現したら大変な事になる冗談(でも本音は本気)を繰り返していました。

自らの講師で例会を2本。理事会の後にはJCについての勉強会の主催。
やりきれたとは云えませんが少しはみんなの足しになったかなぁ。

理事長が終わった後に議案を書けるという稀な幸運に恵まれた事に感謝したいと思います。
議案を書くのなんてホント久々でとても面白かった。

大人数で京都会議に行ったり、サマコンに行ったり。
充実した1年を送りました。



■2009
やっと自分自身少しは成長して来たかなぁと思った年。
理事長は飯久保君。「我が友」です。
この言葉には本当に深い意味があるんです。飯久保貴無くして小林寛仁無しくらいの。
そのくらい支えてもらったし、上下は無いけど「股肱」という言葉が沸いてくるくらいの間柄でした。
これからもずっと。(私からの要望)

ちょっと洗脳されてる?いや、これが本音。

私は“理事長の”顧問を務めさせて頂きました。
飯久保理事長の顧問という事が、ある意味強烈なプレッシャーでしたが、彼のために出来る事は何でもやろうと思っていたので、エラソーな職名でイヤでしたが、ありがたく引き受けさせて頂きました。

「顧問」ていう言葉に拒否反応を示しちゃうところはまだまだ青いのかな?(いや正常だと思う。)

そして、何かしらメッセージを発信したいなぁと思い、この年に本格的にブログを始めました。
(2006理事長の時も想いを伝えたくてブログをやったけど、この年ほど更新頻度は多くなかった。)

顧問K 愛の説教部屋 

結構頑張って書きました。
理事長の時のは次の年になったら消しちゃって、カミさんに「何でー」と残念がられたので、これはずっととっておきます。(放置とも云う)

これ全部読み返せば、この年の動きは分かります(笑

ここ数年の熟成されて来た流れを更に加速させる素晴らしい1年でしたね。



■2010
そして本年、居残りラストイヤー。理事長は中込通雄君。
理事長が決まって2人で飲んだ時、私が専務理事、彼が総務委員長だった2004年みたいな年にしたいという一言、本当に嬉しかったです。

喜んで監事を仰せつかり、ブログも引き続いてやりました。
去年よりも上海出張がずっと多くなり、工場移転のトラブルでバタバタとする中、クオリティがどこまで保てたかは疑問ですが、それでも本気で取り組みました。
(読んで下さる方々が居るという事だけでかなり幸せです。)

監事の務めどこまで果たせたか分かりませんが、これまでの良い流れを断ち切る事無く、さらに次のステージへ持って行こうという中込理事長の的確な現状分析・判断と人並み外れた情熱を少しはサポート出来たかなぁと思います。

今年は年に2回の100%例会を達成しました。メモリアル。
居残りで、今年卒業で、良かった。中込理事長をはじめみんなにホントに感謝しています。

このラッキーは生まれつきでも偶然でもないと思っています。
こうなるべくこうなった、そこまで持って行った(行けた)幸運は自ら引き寄せたんだと。
チャンスは誰にだってあります。
それをつかむのは、やっぱり最終的には、「やるか、やらないか」という非常にシンプルな部分です。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉は伊達じゃない。
何でも飛び込め。買って出ろ。前へ前へ。立ち止まる事は時として非常に重要だけれど、人生立ち止まっている暇はあまりありません。効果的に立ち止まりながら、それでも先へ。
(もちろんJCや仕事だけじゃなく、家庭もだよ。バランスは大切。)

こう思えるのも、大切な家族、そして仲間がそばにいてくれるからだと思います。
その意味で私はJCを離れます。大切な仲間と共有できる時間が減ります。
実は非常に痛手でその事をとても恐れています。

ですが、立ち止まっていてはカッコつかねーから。やせ我慢して前を向いて行きます。
助けて欲しくなったら飲みに誘うしね(笑


※こういう事を答辞で話せよってツッコミは無しでお願いします。。
話している時には無いんだけど、文章打っていると脳内に神が降りてきて云いたい事をまとめてくれるんだよねぇ。
それでもやっぱり、サビを最初に持ってこれない辺りがまだまだ。



+++
そろそろ「終幕」です。

明日以降、最後の最後にみんな宛にメッセージを書きたいと思います。
乞うご期待。(最後なので、自らハードルを上げる。)



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理事会

2010.12.18  JC

木曜日は理事会でした。
本年度最終。来年決算後の最最終がありますが、ひとまず区切り。
2010年度お疲れ様でした。
良い1年でしたね。理事長挨拶も直前理事長挨拶も良かった。

終了後に引き続いて臨時予定者会議が開催されました。
せっかくなのでオブザーブさせて頂きました。

この年末に来て、それでも諦めないところがJCらしいところ。
納得が行くまで。この気持ちいつまでも忘れないでね。
妥協はいつでも出来ます。でも妥協しない気持ちと行動からしか生まれてこない貴重な事だったり経験が必ず在ります。

いいね次年度。
ただ妥協が全くNGかと云うとそうでも無く。
今年だって何回も目をつむった事もあったし、欲を云えばという部分もありましたが、本筋や重要度を考えて現実的に対応する事は大事。

ただひつこく云うけど、ここの線引きを間違えちゃうとただのグダグダになっちゃうから、細心の注意を払い、みんなでよく相談して、しっかり見極めて頂きたい。と思います。


昨日は日中会社を抜けて、来年の南アルプス市フルーツ山麓フェスティバル実行委員会に出て来ました。
商工会、農協、観光協会、芦安ファンクラブの皆さんと打ち合わせ。
来年は副実行委員長を拝命しました。さ来年の実行委員長が恐ろしい。。。

よさこいだけじゃないコンテンツの拡充が必須です。
ホント。いつまでもこの勢いは続かない。先を見て早めに手を打っても早すぎる事はありません。
何か良いネタ無いかなー。


+++
今日は早めに退社して、明日から上海です。
休みが無いけど仕方が無い。土曜日には戻ります。


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■2005+■2006

2010.12.16  JC

月曜日はあまりにボロボロの体を癒すため、夜もそんなに遅くならずに帰宅。
久々に家に居たカンジ。ひたすら寝ました。

火曜日はかおり会。
卒業式のお礼。若い衆2人参戦。つつがなく終了。

昨日はだいぶ体調も戻して溜まった仕事を集中力を上げ上げで処理。
量も質もかなり捗りました。

今日は午前中の会議も無事終了。夜は理事会です。
そうそう、このブログは年末までですが、多方面より「続けろ!」という要望を頂いているので、ひっそり続けて行くつもりです。とりあえず中国でも繋がるamebloでワクだけ作りました。


さて、中途半端になっていた、振り返りシリーズ。
また再開します。と云っても日曜日から1週間上海だから年末までに最後までたどり着けるか不透明。
まあ最後まで諦めない姿勢という事で。


■2005
会員大会の年。そして出会いの年。理事長は塩田先輩。
「オレとお前で!」と良く一緒に飲みに行きました。

私は会員大会の実行委員長を仰せつかり、ブロック会員交流委員会に出向した横内委員長と共に、山梨ブロック会員大会を主管しました。横内君が本当に頑張った。
(各地の理事長さんたちも、厳しくて優しい、人間的に魅力的な方たちばかりでした。)

そしてLOM事業として、南アルプス市に初めてのよさこいチームが立上げられました。
中込理事長が担当委員長、手塚次年度が副委員長。
メンバー募集・説明会・練習・練習・練習・本番、そしてまた練習・練習・・・
通年事業で大変だったよね。

手塚君は踊り子として、塩田理事長は旗、私は歌で実際に中に入っておりました。
1年の締めくくり、お台場のDream夜さ来い出場。雨の中7会場で演舞。一生忘れません。
(パレットタウンの広場の演舞は特に。ある意味人生のハイライト)

そしてそのよさこいを通してカミさんと出会いました。(この時はまだ出会っただけ)

山梨ブロック会員大会の懇親会で、みんなに正調よさこいなるこ踊りを体験してもらったのも良い思い出です。
(前にもブログに書いたけど、その時手塚君と一緒に演技指導していたのがカミさんで、歌ってたのが私。)
LOM事業とブロック事業の融合。繋ぎ役としての私や横内君の現在を見ても、これがライフワーク?という意味で感慨深いものがあります。

この年卒業された先輩方は、理事長経験者3名専務理事経験者2名を含む7名。
一時代を築いた40年生まれの皆様。
ここ数年で退会者が多数出た事もあり、この年を最後に本当に時代が変わる節目でした。

次年度スタート時には若くて経験の浅いメンバーが主体でイチからの出発です。
こういう時に組織の連続性が失われて衰退するのは良くある話。

何とかしなきゃ。

今思えば思い上がり過ぎていたのかもしれません。(私ごときが)
でもそんな想いで、塩田先輩から一度云われて断ったものの、やっぱりやりますと理事長を受ける事にしました。

仕事の上でも、去年創業した中国の第2工場が実はもっと早く立ち上がるはずで、(リーマンショックで中断しなければ)、実際2007年からは殆ど日本に居ないだろうという予定も後押しになりました。

しかしこの決断が、1年後に大変な事態を引き起こす事になります。
が、その時は知る由もなく、何とかこの南アルプスJCを守って行きたい、出自を考えても、そんな下地作りこそが自分の役目なんだ、と確信していたあの頃でした。

荒井先輩がブロック会長で、LOMの事をかなりハッパ掛けられたなー。



■2006
いよいよ理事長の年がスタート。
いろんな事がありすぎて何を書いたら良いのやら。そんな年です。

三役をはじめ最高のスタッフを揃える事が出来ました。
副理事長に貴裕先輩・横内君・飯久保君。専務には私のためなら何でもと云ってくれた勝君。

所信・組織・年間計画。当時の無い頭となけなしの経験を総動員して、練りに練ったつもりでした。
もちろん目標は過去の先輩の理事長さま方。一歩でも近づきたかった。

当初考えていたのは、何しろ繋げて行く事。継いでいく事。
組織を永続させて行くために、過去脈々を受け継がれて来た良き伝統と蓄積されて来た英知という財産を、もちろん時代に合わせて変える事は当然としても、失う事なく次に伝えて行くんだ。
そんな想いでした。

戦後最大の思想家吉本隆明氏の「変わるものと永遠のもの、このふたつを綿密にとらえないと、実相というものはなかなか浮かんでこない」という言葉。本当に深いと思います。

だから30周年は通過点。それ自体が目的にならない様に。
続いて来た事に精一杯の感謝こそすれ、それを誇って大きい事業をして、今まで蓄積して来たものを使い切る様な過去の轍を踏まない様に、という事も考えていました。

結果的によさこい祭りという大きな事業を開催した訳ですが、記念事業でもなければ、冠事業でもありません。ましてや私のトップダウンだけで進めた事業でもありません。

あくまで手塚委員長、清水副委員長、横内副理事長という素晴らしい担当と一緒に、発案し、育て、作り上げた事業です。委員会の頑張りがLOM全体を巻き込み、大きな1つの流れとなりました。

これね、私の自慢なんです。規模や内容という意味では無く、流れが。
すごいでしょ、ウチの若いやつら。っていっつも外で話していました。

周年の記念式典には、先輩たちが課題として残してくれた、地域将来ビジョンとして『南アルプスJC宣言』を採択し、覚悟を持って臨んだ拡大では、予定には程遠かったですが5名の優秀な人材に入会頂きました。

そうそう、年当初、山梨ブロック新年互礼会@ぶどうの丘で、司会をしていた都留の菅谷先輩(2004同期専務)から山梨ブロック全会員の面前で『拡大達成できかなったら坊主!』のかけ声に反応(約束)してしまったのは痛かったです。
南アルプスJCの長として約束してしまった以上、果たさない訳には行きません。
(人前で大見得切ってそれを果たさなかったり誤魔化して取り繕った人・団体の末路はイヤというほど見て来ました。)

人生で1回も坊主にした事無かったのに!!
社団法人って、組織の長って、重いなーと思った。
でも逆にそれを矜持としなきゃとも同時に思ったけどね。(ドM?)自分で蒔いた種です。

あの時に毛根がリセットされ、細くて柔らく、そして抜けやすい髪質に変化してしまいました。
坊主でさよなら関東地区行ったら、池田会頭や平さんが名刺と見比べてたなー。
(大人なので、何だその坊主頭、とは云われませんでしたが。)



そして次年度理事長。
横内君には大変な思いをさせてしまいました。
今の私があるのも彼のお陰。本当に感謝しています。


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卒業式

2010.12.14  JC

先週の土曜日に卒業式が執り行われ、無事に卒業させて頂きました。

13年という長きに亘るJC生活。ジ・エンドです。

当日はたった1人の卒業式にも関わらず、山梨県内各地より多数の皆様にご臨席頂きました。篤く御礼申し上げたいと思います。
つーか人数にマジびびった。
私なんかの卒業式に、ホント申し訳無い、というかありがたすぎでした。

シニアの先輩方にも多く出席して頂き、感謝の言葉もありません。
保坂先輩にご指摘頂きましたが、ここ10年の歴代理事長のみなさまも全員出席して下さいました。

(さてどうやって返すんだ。この恩は。)


そして我がLOMらしい卒業式。
送られる人としては開催してもらえるだけでありがたい訳ですが、監事という役職から見ても『よし。よくやった』という内容でした。
例年通り段取り・進行キッチリ。(欲目で云えば例年以上)

メンバー一人ひとりの頑張りが素晴らしかった。
卒業者冥利に尽きます。

理事長挨拶にもありましたが、今年2回目の100%例会。
1月に100%で始まり、12月に100%で締めるという最高のかたちになりました。
来年2011年度への弾みになったと思います。


1つ残念なのは、私の答辞が相変わらず酷かったであろうという事です。
「あろう」という意味は、完全に舞い上がってしまい、真っ白になって、何を話したのか殆ど覚えていないからです。
(横内君の送辞が抜群に良かっただけに目立った?)

万が一、それなりの話だったとすれば、それは『運が良かった』だけであって、今までJCで少しづつ成長してきた結果として話が出来た訳では無いので、自分で自分の話をコントロールできていなかったという意味で『酷かった』。

まあそんなへなちょこも私らしいと云えば私らしいですし、それにみんな私が話し下手なのは知っててハードルは最初から低く設定されていると思うので、その点は少しは救いです。


何はともあれ、あの時を共有して下さった皆様に心から感謝申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。


懇親会は相変わらず式典と打って変わってくだけたカンジ。
このメリハリもここ数年の南アルプスの伝統です。この落差がステキ。
コバ検も何とか合格できました。(つーか、キレキャライメージ盛り過ぎです。)


終了後、LOMメンバーとプラス1名特別ゲスト(浩ちゃん)で例年カラオケ三昧となるスナック小松へ。
何故かカラオケは1曲も掛からず、ずーっとみんなで話してました。
私も一人ひとりに話させてほしいという願いが叶いました。

途中でカゼ薬と栄養剤で押さえ込んでいた体調不良が噴出し、熱が乱高下、顔は真っ青、耳は聞こえなくなり、『あ、ヤバい』という状況も訪れましたが、心の力で無理矢理押し返し、最後は祖国へ。

何とか全行程を終了する事が出来ました。
お疲れさまでした&本当にありがとう。>メンバーALL


+++
日曜日には午前中皆様からの頂き物(ありがとうございます)を運び、午後からの山梨JC卒業式に出席しました。
3名の卒業者の皆さまおめでとうございました。

終わって、ウチの3人+ブロック愉快な仲間たちでちょっと瑰泉+αへ。
なかなか有意義な1日でした。卒業した後ってのも趣あったね。
これも中込理事長と飯久保直前のお陰だと思っています。
ありがとうございました。

それにしても、教ちゃん何でも歌えるんだね&茂ちゃん考え方似てるなー。

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